なに?後部座席に恨みでもあったのか?

まったくあきれた話です。

中学生男女5人がホンダのコンパクトカーを早朝に乗り回してたら運転操作を誤ってポールに激突し大破したとのことです。

中学生らはあの金属の塊を動かすことのコワさを認識しておらず、頭を強く打って亡くなった女子生徒はあろうことかシートベルトを締めていなかったようです。
シートベルトを締めていれば車外に投げ出されることもなかったでしょうに。

しかし、運転していた中学生はいったいなにを思って他人を乗せたんでしょう?
中学生はまだ子どもとはいえ、やっていいことと悪いことの区別はついているはず。

その区別を付けられず、ただ目立ちたい、モテたいの一心でイキって人の親の子の命を奪ってしまった。
はっきり言ってバカです。

中学生だから、モテたい目立ちたいと思うのはありふれた感情ではないでしょうか。

が、そうであったとしても社会のルールを破ったり、人としてやってはいけないことに手を染めたりしなくてもモテて目立てる方法なんていくらでもありますよ(保証します笑)

ただ、殊に車の運転は常に男のプライドをくすぐるものなので運転ができるできないという部分は非常にセンシティブな問題になります。

運転をバカにされれば他のことでバカにされるよりもかなりのダメージがあります。

だから、中学生でなくても車でめちゃくちゃイキってしまう方々がちらほら出てくるわけです。

車間距離を鬼詰めて煽ったり、指示機(ウインカー)を出さずに車線変更や右左折をしたり、反対車線から追い越ししたり、追い越し車線ガラ空きなのに前の車にギリギリまで迫ってからわざとらしく車線変更したり(その後すぐに走行車線に割り込むのがおきまり)狭い道路を爆速で突き抜けることがカッケーと思い込んでる車だとか……

逆にこっちが聞きたいんです。
それ、本気でカッコいいと思ってやってんすか?と。

そういうバカの見本市みたいな危険運転を大人がやってしまうから、厨二病をこじらせたガキんちょが感化されてバカが再生産されるわけです。


で、話は事故に戻りますがここで大破した車のようすを見てみましょう↓
大破した車(写真=朝日新聞)
縁石に乗り上げ、ポールに激突した車(画像にある文言は私の主張と全く関係ありません)

助手席から後部座席側が大きくひしゃげているのに対し、フロント部分はほぼ無傷です。

これらの写真からは見えにくいですが運転席側は無傷に近い状態でした。(ドリフトの練習しようとでも思ったか?)

なにが言いたいかというとズバリ車で事故った際にもっともダメージを受けるのは助手席、その次は助手席の後ろということです。

警視庁が昨年2月に発表した「平成28年度における交通事故について」という資料によれば、2016年の自動車座席別に見た死者数は運転席が1004人、助手席が155人、後部座席が179人となっています。(運転席での死者数が一番多いのは交通事故において運転手の存在は絶対的ですから当たり前のことです。)



警視庁「平成28年度における交通事故について」

上の表を見てもらえば早いのですが、直近10年間で運転席、助手席での死者数は大幅な下落傾向を示している一方で、後部座席での死者数は減少傾向にあるとはいえません。

さらに、こんなことを言えば誤解を生むかもしれませんが車を操作するのは当然運転席に座る人です。もし、自分の目の前に何かが飛来してきたりどこかにぶつかりそうになったとき、人間は本能的に自らの危険を回避する行動に出ます。

すると、結果的に運転手は無傷でも運転手自身が危険を回避したことにより助手席側に座る人にダメージを与えてしまうことになりやすいのです。

警視庁は後部座席でのシートベルト着用率の低さが致死率の上昇を招いていると考えており、実際に数字としてそれが表れているわけですが、このデータには残念ながら単独事故か車両どうしの事故か、あるいは同乗者がいるかいないかといったことは分かりません。



運転手が無事(または負傷)でそれ以外の人が死亡したり負傷したりする割合が同乗者がいる場合の交通事故のうちどれだけの割合を占めるのかが分かれば、説明はしやすいのですが………。

いずれにせよ、今回の中学生による事故で大破した車を見ると明らかに運転手が自らの危険を避けた結果、助手席側に座っていた生徒により重度の被害があったことが分かります。

車の運転くらいマリオカートとか頭文字Dと同じでヨユーすぎ卍なんて思っていたんでしょうか。

それにしても、これだけ男女の差がなくなってきている現代であったとしてもヤンキーの世界では「俺が女を守ったらな!」という根拠なきモチベーションが絶対的正義として通用しますから、男が背伸びをしてイキッた結果守るべき存在を死なせたとなると親御さんはいろんな意味で激しくなるのではと想像できます。


しかし、亡くなった女子生徒も自業自得といえばそうとしか言えません。
無免許を黙認していたのもそうですし、無免許の中学生が車を運転するなど高速道路を逆走するよりも恐ろしいことなのにシートベルトさえしていなかった、極めつけは飲酒もしていたらしいとのこと。もはや役満です。

おそらく、ヤンキーのメンタルでシートベルトなんて恥ずかしくてできなかったんでしょうね。
彼らは、シートベルトを締めている姿がダサいと思っている気の毒な方たちなのです。

まあダサいと思うなら締めずにいたらいいと思います。
そして、大切な人を失ってから後悔すればいいんです。


そして、SNS上ではやはりといいますか中学生叩きが止みません。
亡くなった女子生徒の兄と名乗る男性が、ブログやTwitterに心境を吐露していましたが、それに対し「お前の妹も同罪」、「さすがに自業自得」とリプライをする始末。

確かに同罪で、自業自得なんですがそれをこのタイミングで被害者遺族に投げかける言葉なのかと神経を疑います。

ヤンキーというのはバカにしやすい存在であるかもしれませんが。
いま、言論空間では現状に不満をもち、共通の敵として誰かをターゲットにして叩きのめすという方法でそれを晴らすといいことが日常的に起きています。

普通、ネットでも現実でも「死ね」という言葉は使いません。
「死ね」と言いたいという欲を人間にしか備わっていないとされる理性で押し留めるわけです。

ところが、社会的少数者であったり、犯罪者、もしくはそれに準ずるようなことをした人であると分かったときなぜか、その理性は外れ「こいつには死ねといっても構わない」というメンタルが出てくる。

誰にも彼にも言えるわけではない「死ね」という言葉が1度誰かの口から放たれたときそれは一瞬にして火だるまとなってターゲットに襲いかかります。

どんな相手だろうと「こんな奴は死んで当然」などと公の場で言える人ってある意味殺人者予備軍だと思います。

実際にそれを行動に移してしまった人もいます。
最近で言えば、アメリカの新聞社が襲撃され記者5人が死亡した事件、福岡で起きた有名ブロガー殺害事件、新幹線内での殺人事件、2年前の障害者施設での無差別殺人事件など「こんな奴は死んで当然」メンタルが引き起こした殺人事件というのは意外にあるものです。

最近でなくとも、31年前の朝日新聞阪神支局襲撃事件や約80年前の南京事件(捕虜となった中国人が日本軍によって無差別に虐殺された事件)、そしてポツダム宣言受諾のきっかけとなった原爆投下なども同じメンタルです。

ここまで読めば分かると思いますが、「こんな奴は死んで当然」メンタルで人の命を奪ったのは単に「自分が気に入らないから殺した」ということです。

それなのに、「みんなも同じ気持ちでいるはずだから自分は間違っていない」と勝手に脳内で仲間を作り出すわけです。

これ、まさにいじめと同じですよね。

いじめなんて、声だけはデカい主犯格の人間が「こいつ嫌いだからいじめてやらないと気が済まない」と思ってるだけでそれを黙認する人間って意外とどうでもいいって感じてることがほとんどなんですよね。

ですが、周りに咎められる訳でもないので主犯格のなかでは勝手に「俺(私)が嫌いと思ってるんだから周りも同じ気持ちのはず」と妄想を繰り広げて、自己陶酔に陥ってしまう。

アホですよね、「俺はこいつが嫌いなんです」って必死に周りにアピールして目立ちたがるヤツって。

高校にもいましたね。中学生のときにやたらいじめられて、プライドもズタズタにされたので、今度は自分がいじめる側に立っていい気になってやろうってヤツが。

憎いとかなんだとかよりも本当に気の毒だなぁ。

どこでそんなに闇を吸収してきたんでしょう。

ともかく、誰かを叩きたいという感情が渦巻く陰湿な社会はこれからも続くでしょう。

なぜなら、ネット上で匿名(本名や顔出しなら、それはもう救いようがない)という仮面を被って公然と「死ね」と言える時代ですからね。

犯罪やルール破りに寛容であれとは言いません。
せめて、言っていいことそうでないことをよくよく考えてた上で発言する人が増えればこうした悲惨な事故や事件は少なくなっていくかもしれません(というかそうであってほしい)


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