杉田議員の「生産性」発言 なにか勘違いしてないですか?

自民党議員の同性カップルに対する差別的言辞に多くの批判が集まっている。

自民党内でも指折りのタカ派議員、杉田水脈衆院議員のことだ。

彼女は、月刊誌「新潮45」2018年8月号への寄稿のなかで「彼ら彼女ら(同性カップル)は子供をつくらない。つまり、『生産性』がない」とのトンデモ主張を繰り広げたのだ。

「生産性」という言葉の意味を考えれば、いかに差別的であるかがうかがい知れる。

広辞苑第七版にはこう記されている
「生産過程に投入される労働力その他の生産要素が生産物の産出に貢献する程度。」

「生産性」は生産物の産出そのものをさすわけではなく、その産出がどれだけのメリットを生み出したかの指標として扱われる言葉だ。

そもそも、カップルそのものを生産要素とみなし子どもを産出物とみなすという不見識にまず驚く。

生産性がないということはつまり、彼女にとって同性カップル及び不妊に悩む人たちは役立たずあるということだ。

日本では1948年「優生保護法」が成立している。

社会にとって望ましくない資質を国が特定し(当時は重度の障害を持つ者とされた)、その者に不妊治療を強制的に受けさせるという差別主義丸出しの法案だ。

ナチスドイツが優生思想に基づいた大量虐殺(ジェノサイド)を行った歴史があることは周知の通りだが、終戦後の民主化が進んでいた日本で優生思想がまかり通っていたことは意外にも知られていない。

しかも、この優生保護法は1996年まで名前さえ変わることなく残り続けたとのことだから、日本がいかに人権後進国であったかということをうかがわせる歴史的事実だ。


さて、今回の「生産性」発言に対する反応を見ているといったい何を勘違いしているのだろうと思ってしまうものが多く散見される。

たとえば、「LGBTの人たちに必要以上に税金で保護する方が差別を拡大させる。」、「私は当事者(LGBT)の1人ですが、杉田議員の主張は正しいと思います」、「LGBTの人が杉田議員の発言は間違っていませんと言っている。結局叩きたいだけ」など、関係のない話を持ち出して「生産性」発言を擁護する意見。

そもそも、誰もLGBTの人たちに必要以上の税金投入は求めていない。どんなに税金を投入したところで、この日本社会がLGBTの人たちへの理解と寛容さを向けなければ何の意味もないからだ。
そして、もとよりこの発言は同性カップルのみに向けられたものではないということ。

杉田議員の発言を見れば、彼女はカップルを生産要素とみなし生まれてくる子どもを産出物と捉えている。生産要素がなにも産み出さなければ生産性はゼロ。要するに、不妊に悩む人たちに「お前らは国にとって生産性はゼロ」と言っているということだ。

杉田議員の発言を批判している人たちはみな、国民を「役に立つか」否かで価値判断を行っていることに怒りを覚えているのだ。
同性カップルがこの発言をどう受け止めたかどうかよりも、政
治家がこのような認識を開帳したことそのものが強く非難されるべきである。

よって、この杉田議員の発言をわずかたりとも擁護はできないし即刻政界から追放されてしかるべき。
擁護するということは、国が国民をモノ扱いしても構わないと思っているかよほどのファンであるかのどちらかでしかない。

過去の「女性は生む機械」(2007年柳沢厚生相)、「実は愛知も、私の住む東京も『生産性』が1位2位を争うぐらい低いんですよね。何の生産性が低いか。それは、『子どもを産むという生産性が最も低い』んですよね。」(2007年菅直人民主党代表代行)※いずれも肩書きは当時のもの
のような女性蔑視の発言に対してよく、「マスコミが叩くために一部だけ切り取った」との批判がなされることが多いが、ではその発言の前後を載せたところでその発言の主旨が変わるとでも言うのだろうか?


何かを批判したり擁護したりする際はどうかその問題の本質を見極めてから行ってほしい。
そうすれば、なぜこの発言に対してめちゃくちゃ怒っている人がこんなにも存在するのかが自ずと分かってくるはずだ。


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